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竪川SLAPP訴訟 第4回傍聴レポート

 11月19日、堅川SLAPP訴訟第4回公判が東京地裁429号法廷で行われた。この日は原告・被告双方の証人尋問という大きな山場だ。当日は、38人分の傍聴に68人が並び、遅れて合流した人たちも含めて、裁判(2時間45分)が終わるまで大勢が廊下で待ち、このSLAPP訴訟公判では最大の結集に。この訴訟の理不尽なやり方への関心と怒りが拡がっている証である。
証人は今回の訴訟の当事者である江東区役所職員K(以下K)。2012年2月9日、園良太さんを区役所から排除する
際に「首を絞められた」と病院で治療、費用は地方公務員災害補償基金を通じて園さんに請求、全面拒否を経てSLAPP訴訟となる。Kは自筆で首を絞められた様子を描いたイラストを提出している。まず原告側の弁護士の質問に答える形で当時の状況をKが説明する。Kが通路をふさいでいたところ(園さんが)体当たりをして「のど輪」のように両手でついてきたという。しかしイラストにあるような 「両手で首を絞めている」構図と、「のど輪」とは明らかに食い違う。これだけでも既におかしい。
 
続いて、被告側弁護士の川村さん、大口さんから尋問。冒頭、「(前日の)代執行時における証人の役割は?」との質問に対して「本件とは関係ないと思う」と。裁判長から「関心があるので答えるように」と促され、渋々警備や撮影を担当していたと答える。
続いて、2月9日当日のKを含む職員らによる実力行使ー排除について、園さんが「カウンターにしがみついて」いたのを「外に出す」ために何をしたのかという問いに、無言で答えず。これにも裁判長から「(口頭の)お願いなのか、身体的接触(実力行使)なのかを聞いてる」と言われて、「身体的接触です。具体的なことは覚えてない」と逃げる。要するに、実力行使をした事実は明らかにしたくないのだ。

そして当日の様子が記録されたDVDを見ているかと問われるや「見ていない」と言う。通常、自分の証言を補う客観的証拠ともなる映像データすら見ないというのは考えられない。さらに決定的なことは、警察・検察の事情聴取において(首の痛みが続いていて、通院している渦中だったにもかかわらず)首を絞められた事実を何一つ証言していないことだ。その不自然さを突かれると、次第にしどろもどろになり、事情聴取の回数すら覚えていない、何月何日かも記憶にないと繰り返すばかり。
また、現場にいたことで事情聴取された他の職員たちも、Kが首を絞められた事実は証言していない。上司の指示通りの答えなのだろうが、Kは証人として出廷したことでむしろ墓穴を掘ったといえる。

次に弁護側証人として、当日もともに行動に参加したUさんが立った。Uさんは、前日の行政代執行、さらにさかのぼって1月27日の敷地をフェンスで塞ぐ作業の様子も含め、江東区職員と警備員による常軌を逸した暴力を克明に語った。当初Kが代執行時の役割を話したがらなかったように、一連の江東区の卑劣なやり口が、Uさんの証言で明らかになったことは大きな意味がある。宮下公園国賠訴訟(勝利判決。詳細は『救援』559号に)でも、行政代執行に際しての職員らによる実力行使(両手両足を持っての排除)の違法性が言及されている。

最後に、園さんはこの日の証言で、今回の訴訟そのものがねつ造であること、問題の本質は江東区の暴力的強制排除にあることをきっぱりと言い切った。

次回は最終弁論となった。多くの結集を! 2016年2月2日(火曜)10時30分 東京地裁 傍聴希望者は傍聴券交付の10時までに集まってください。

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【山谷越年越冬闘争に向けた連続企画】 ~ 30年前の山谷から現代の竪川へ ~

■12月12日(土)竪川カフェ『松沢哲成さんに聞く山岡強一のこと(仮題)』
時間:午後1時~3時
場所: 竪川河川敷公園五の橋下にて。(最寄り駅:JR亀戸駅、都営新宿線西大島駅)地図↓
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=214080799066119087090.0004a8fb22451f172e042
12月の竪川カフェは、ゲストに松沢哲成さんをお迎えします。江東区役所による
行政代執行から丸3年となる竪川にて、松沢さんがかつて活動をともにした山岡
強一氏について話をしてもらいます。

■12月13日(日)「山谷 やられたらやりかえせ」&「竪川反排除の記録」上映会
時間:午後5時30分~
場所:山谷労働者福祉会館2Fホールにて
13日は、山谷労働者福祉会館にて「山谷 やられたらやりかえせ」(1985年)と
「竪川反排除の記録」(2012年)を上映。日雇い労働者ー野宿者の抵抗とたたかい
の系譜をたどります。

【12月12日の竪川カフェゲストの松沢さんより】
山谷に行ったのは、1980年くらい。その頃は三多摩にいたんだけど、
行くのに3時間くらいかかるんだよね。79年だったかな?
そのときはじめてやまさん(山岡強一)に会った。それから、86年に
やまさんが殺されるまで、ずっと山谷に行ってた。短かったね、いま考えてみれば。
あと、間に佐藤満夫がいるからね。佐藤とは、山谷と別の場所で会ったんだけど、
そのときに「山谷で越年越冬闘争あるよ」って言って、俺が山谷に誘ったんだよね。
責任あるわけですよ。