堅川SLAPP訴訟 園良太「最終弁論」

 

園良太 最終弁論
                                    2016年2月2日

この損賠請求裁判はとても少額で小規模だが、内容は司法や行政の未来を左右する。請求事実もねつ造、出した証拠と証言もねつ造、それを権力者の行政が力のない民間人に行っているからだ。この請求は次回判決で社会全体のために必ず却下されなければならない。以下にそれを詳しく説明する。

私達は「地方公務員災害補償基金」(以下「基金」)の最初の請求から一貫して「事実無根、暴行もケガも治療費もねつ造の前代未聞の請求だ」と確信し主張してきた。そして裁判が始まると、「基金」と江東区は適当なイラストや再現写真しか証拠を出せなくなった。イラストは何と江東区古木本人が書き、写真は弁護士の黒野自身が古木の役割を演じている。証拠の客観性がゼロではないか、かつてこんなふざけきった裁判があっただろうか? 事実自体がねつ造だから証拠もねつ造するしかない事は明らかだ。そしてこんな作り方をするくらい、公安警察と江東区が竪川河川敷公園の強制排除から一貫する悪意のみで裁判を起こした事も明らかなのだ。

1万歩譲ってこれらを証拠扱いしても、矛盾の塊だ。古木は、江東区役所で私が体当たりをして「のど輪」のように両手でついてきたというが、イラストには私が両手で首を絞めたように書かれており、「のど輪」とは明らかに食い違う。また私の髪も靴も筆致が全て適当で、服など全く違っており、証拠に値しない。写真もイラストも腕を真っすぐ伸ばしているが、首を絞める時は腕を曲げなければ力は入らない。実際にはやられていないからわからないのだ。
こんな証拠を出す「基金」は焦っている。同時に「これでも勝てるだろう」と東京地裁を、佐久間裁判長をなめきっている。裁判長、それでいいんですか。

なるほど、被害者本人の証言や医者の診断書があるではないかという声が原告席から聞こえる。だがそれだけで押し切れるなら「ヤクザに証拠はいらねぇんだよ!」というよくある脅しと同じだ。司法や裁判の意味がない。11月19日の江東区古木の「証言」なるものは、ねつ造の見るも無残な露呈だった。

彼らは刑事事件時代から、私達を無理やり有罪にするために、自分たちの竪川河川敷公園や江東区役所での暴力を徹底的に隠している。そのため今回も最初に弁護士から「2月8日の行政代執行時における証人の役割は?」と聞かれると「本件とは関係ない」と拒否した。裁判長から「関心があるので答えるように」と促され、渋々警備や撮影を担当していたと答える始末だ。

また2月9日に古木らは私達の背後から突然襲い掛かり強制排除しようとした。いきなり羽交い絞めにされたために私はカウンターにしがみつき、その後両手両足を持たれ宙づりにされて運ばれた。ゆえに自分の暴力を隠したい古木は「何故外に出されるに至ったのですか」と何度聞かれても答えず、ようやく「外に出るようお願いした」と答えたが、「お願い」など噴飯ものの事実隠ぺいだ。

弁護士、さらに裁判長からも「口頭のお願いなのか、身体的接触(実力行使)なのかを聞いてる」と言われ、ここでも渋りながらようやく「身体的接触」と認めるも、「具体的なことは覚えてない」と逃げた。首を絞められたと4年後に克明にわめきたてる人間が、わずか数分前の自分の行為を覚えていないなどありえない。

そして江東区職員が撮影した当日の様子のDVDを「見ていない」と答えた。だが自ら撮影した映像を4年間一度も見ないのも、自分の証言を補う客観的証拠となる今回でも見ないというのは考えられない。DVDに首を絞めた事実が映っておらず、古木らの私への暴力排除と役所立ち入りブロックが明確に映っているから、裁判で話題にしたくないのだ。

さらに決定的なことは、「首が痛くて通院中」にも関わらず、同時期の警察・検察の事情聴取においてそれを何一つ証言していないことだ。

当時の公安警察木下は、私を起訴できる案件は何でも探していた。私が割ったガラス代金を弁償した直後の取り調べで私に「いや~、まさか弁償できるとはね…簡単に払える金額じゃないんだけどなぁ」と悔しそうに話しており、起訴前の12年2月27、28日に古木を含む江東区職員に徹底的に聞き取りを行い「園に業務を妨害された」と言わせて威力業務妨害で起訴してきた。事情聴取日と内容は調書に残っており、江東区も見ており、覚えていないという答えは許されない。首絞めが事実なら古木が証言すれば暴行罪での起訴を作り上げられるが、事実が無いため刑事事件では無理がありすぎて避けたのだ。

これを前回黒野弁護士は「首絞めを検察に証言する、しないは古木さんの自由で、証言の必要性を感じなかったからですよね?」とのたまったが、私の加害行為を言わせたくて仕方ない検事を前に、「散々業務を妨害されており、園を厳罰に処してほしい」と力強く語った人間が首まで絞められていたなら、まず真っ先にその事を語るはずだ。現場にいたことで事情聴取された他の職員たちも、古木が首を絞められた事実など一切証言していない始末だ。

古木はその不自然さを突かれると、全身から汗と焦りと緊張感がほとばしり、事情聴取の回数すら覚えていない、何月何日かも記憶にない、首を絞めた事を話したかどうかも記憶にないと繰り返した。

全くふざけている。検事に話したかどうかすら覚えていない案件なら、なぜ4年もたった今回に突然裁判だけを起こすのだ。ありえないではないか。都合のよい嘘を喜々として語り、矛盾を突かれると覚えているのに覚えていないとごまかす。古木は証言の最初に「嘘をつけば罰を受ける」と専制しており、彼は監獄に入るべきだ。そして古木は「公務災害の認定に必要だから病院を受診した」「上司に言ったら出しなさいと言われました」と答えており、その上司達も全員監獄に入るべきだ。実際には私だけが4ヶ月以上も監獄に入れられた。こんな事は絶対に許されない!

最後に古木は「実際に職場を休んだのは2月10日の午前中だけ」と答えた。診断書の「全治2週間」のでたらめさは明らかだ。昨年の陳述書で述べたように、「頸椎ねんざ」は、本人が「痛い」と言ったり「頸椎ねんざですよね」と強調しているだけで、整形外科が詳しく触りもせずに診断書を出す事もできるものだ。この安易さ故に、ヤクザや車の「当たり屋」がありもしないケガをつくって相手を訴える時によく使っているのだ。江東区は訴えも証拠もヤクザそのものである。そして「首を絞められた」なる主張は、裁判官や市民に「相手が殺意のあるおぞましい事をしたに違いないと」簡単に思わせられる、ありもしない暴力を作る時の典型例だ。権力を持つ側が行った暴力を市民の責任に転嫁できるからであり、沖縄辺野古で海上保安庁が基地建設に反対する人々をする時も度々そう主張する。

「基金」の事実認定も訴訟もデタラメそのものだ。労災組織がわずか4万円の治療費請求を民事訴訟にまで訴えるのは社会常識に大きく反する。訴訟費用は請求費を有に上回るからであり、税金を使う役所はその使用がより厳しく制限されなければいけないからだ。だが「基金」の請求文章はなぜ・どのように事実を認定したのかが一切書かれていないまさに怪文書だった。私達が文書で何度抗議・反論しても基金はそれには一切答えずに送り続けられ、14年4月に西早稲田の「基金」事務所に行き、請求の理由や過去の請求事例を聞いても彼らは一切答えず、警察を呼んで排除しようとした。そして事実認定の説明も、私への聞き取りも、反論への答えも一切無いまま今年初めに突然訴訟を起こしてしまったのだ。

つまり江東区も基金も、悪意や怠慢により、税金を私的な弾圧に不正使用している。東芝のような企業の不正会計は追及されても、最もそれをしてはいけない役所がやりたい放題私的流用しているのが今の日本である。江東区と基金を敗訴させなければ、裁判所もそれを認める事になるのだ。

これらの溢れるデマの証拠をもとに、再度言う。首絞めの事実が無いから刑事事件に出せなかったのであり、民事事件は事実が無くても損賠請求を起こせるから出してきたのだ。

そして古木の後のUさんが証言した、江東区の暴力こそ事実であり、ここで裁かれるべきだ。私達が言及した宮下公園国賠訴訟の判決でも、行政代執行での職員らが両手両足を持って排除することは違法と言及され、国賠は勝利した。区役所から市民を同じ方法で追い出すことももちろん違法なのだ。

最後の核心は、なぜ江東区の悪意と基金の怠慢が、この異常極まる裁判という形になったかだ。
それはこの日本社会に「公安警察」が存在するからだ。彼らは社会矛盾の被害者や矛盾と闘う人々をつぶす事を仕事にしており、そのためにはどんな事でもやる。江東区は竪川の行政代執行時から一貫して公安警察とともに動き、公安も運動をつぶすために江東区と結束していた。この常識を超えた損賠請求はその結束により起こされたのだ。佐久間裁判長が公安警察をどう認識しているかは不明だが、この裁判の異常さや不可解さは少しでも感じているはずだ。理由は公安警察にある。公安事件裁判とは裁判所をでっち上げに利用するものなのだ。

最後にこの訴訟の問題の根源を昨年に続き述べる。これは現代の「ファシズム」そのものである。江東区職員の野宿者への凄まじい暴力は地方自治体の常識を遥かに超えていました。それが今オリンピック再開発により渋谷を始め東京中の野宿者排除に広がっている。そして何よりもありえない事は、江東区が逮捕、起訴、刑事裁判の時には「暴行」の話を一切出さなかった事だ。事実が存在しないため出せなかった。故に普通なら後からこんな訴訟は誰も起こせないし、起こした側が負けることは誰にでも分かる。

ところが江東区職員はどこも痛くないのに医者に行き、偽の診断書を作り偽の治療費を請求し、「暴行」のイラストまで書いて裁判に出した。「基金」も事実検証や私達への聞き取り等全くやらずに損賠請求を起こし、裁判は全部悪徳弁護士に任せて一度も出て来ない。しかも裁判所も単なる損倍の民事訴訟を「警備法廷」で行っており、それは最初から被告と支援者全員を犯罪者扱いする法廷のため、そのまま原告「基金」を勝たせてしまう危険性がある。つまり彼らは自己保身や現状維持のために、上からの命令を何も問題にする事無く暴力をふるい続けているのだ。

哲学者のハンナ・アレントは、ナチズムは独裁者だけでなくそれに思考停止して従う末端の役人たちが作ったのだと明らかにした。安倍政権の暴走で多くの人が危惧する「ファシズム」とは、政権の暴力と同時に、行政の末端から民間人まで社会全体が「総思考停止状態」となって暴力を振るう事だ。その一つの極限が「竪川SLAPP訴訟」だからこそ、絶対に勝って止めなければならないのだ。

12年2月9日に私が「威力業務妨害」をした事実も首を絞めた事実も一切ない。裁判所は、江東区役所と「基金」が本来の役割や責任を放棄して警察権力と一体の損倍をかけてくる事こそを罪にしなければいけない。
私達は「基金」と江東区の請求は不正で無効、1円も支払う必要なしという結論を必ず勝ち取る。その過程でピンチをチャンスに変え、警察、江東区、「基金」が訴訟を後悔して二度とやれない所まで追い込み、他の様々な運動と同様にファシズムを止めて生きる権利を勝ち取るのだ。

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